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[クラシック・ニュース 2004/05/23-2004/05/29]
2004年5月28日(金)
武満徹と共に音楽を創ってきた「アンサンブル タケミツ」最終公演『響きの海』へ
左:佐藤紀雄(ギター)
右:小泉浩(フルート)
photo: M.Yabuta
1996年2月20日に武満徹は没した。はや8年の歳月が流れた。
生前武満とともに彼の作品を演奏してきた音楽家たちが「アンサンブル・タケミツ」をつくり彼の全室内楽曲を紹介してきた。今回で58曲の室内楽作品のすべてを演奏することになる。そしてその最終回をむかえる。
「インタビュー@クラシック」でフルートの小泉浩、ギター:佐藤紀雄が登場する。彼らは武満徹と一緒に作品を創って来た仲間として武満の人となりや音楽に対する考え方について語る。
http://www.music.co.jp/classicnews/interview/
◆《武満徹全室内楽曲連続演奏会》
『響きの海』 最終回
2004年6月9日(水)18時30分
東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル
◎すべては薄明のなかで (ギター)
◎ディスタンス (オーボエ、笙)
◎閉じた眼U(ピアノ)
◎ピアノ・ディスタンス(ピアノ)
◎秋のうた (クラリネット、弦楽四重奏)(チャイコフスキー作曲/武満徹編曲)
◎水の曲(フルート3、テープ、舞)
◎夢見る雨(チェンバロ)
◎雨の樹 (打楽器3)
◎そして、それが風であることを知った(フルート、ヴィオラ、ハープ)
◎海へV (アルト・フルート、ハープ)
◎ギターのための12の歌より インターナショナル、サマータイム
◎ゴールデン・スランバー(ピアノ) (J・レノン作曲/武満徹編曲 )
◎ビトゥウィーン・タイズ(ヴァイオリン、チェロ、ピアノ)
< アンサンブル タケミツ >
松原勝也・ 鈴木理恵子(vl)
城戸喜代(va)
安田謙一郎(vc)
佐藤紀雄(guit)
甲斐史子(va)
山口恭範・吉原すみれ・菅原淳(perc)
木村かをり・高橋アキ(pf)
篠崎史子・ 木村茉莉(hrp)
小泉浩・西澤幸彦・織田なおみ(fl)
柴山洋(ob)
宮田まゆみ(笙)
鈴木良昭(cl)
観世栄夫(舞)
問:東京コンサーツ 03-3226-9755
http://www.tokyo-concerts.co.jp/index.html
◆武満徹全集に関する情報!
小学館から武満徹全集を刊行している。5月の最終配本で全5巻を完結する。50余年眠り続けていた作品の発掘や、新録音など地道な作業がなされた。
武満徹全集(小学館)
http://www.shogakukan.co.jp/takemitsu/
2004年5月28日(金)
ウィーンから海外情報:音楽ジャーナリスト岩崎和夫氏からよせられた!
ウィーン国立歌劇場外景
ウィーン国立歌劇場内部
デノケ(クンドリー/左)と
ボータ(パルシファル/右)
「イェルサレム」
◆ウィーンの「パルシファル」 25年ぶりの新演出に大きな疑問!
ワーグナー最後の大作「パルシファル」がひさびさに新演出される、とあってウィーンへ駆けつけた。これまで上演されてきたのは、1979年3月19日アウグスト・エヴァーディンク演出でプレミエになった舞台で、1989年のウィーン国立歌劇場来日公演で紹介されている1/4世紀近い上演記録を持つ古いものである。
今回はドイツの女流演出家クリスティーネ・ミーリッツが受持った(昨年12月の小澤征爾指揮の「さまよえるオランダ人」で物議を醸した!)が想像以上に過激な演出。一語で言えば[救済]思想の完全な否定にある。ワーグナーが望んだ愛による救済は彼女の演出の基本にはなく、最後はグラールの聖杯は何とぶち壊されてしまう。
第1幕2場の聖体拝受のシーンでは音楽の崇高さと反比例してS・マイヤーの美術の薄汚い舞台を騎士達がやたらごそごそと動きまわり、音楽を台無しにしてしまう!。第2幕では、クンドリーはパルシファルを誘惑するどころかそれ以上の目もはばかるような動きを舞台上で繰り広げる。その上、パルシファルがクンドリーの接吻でアンフォルタスの苦悩の意味を悟り、自己の使命に目覚める場でも何ら変化が見られない。そして第3幕の音楽的に最もすばらしい[聖金曜日の音楽]では奇跡は起こらず、それどころか舞台の動きはそれを完全に消してしまい、聖杯はぶち壊される。
一方音楽面は充実していて、ランニクルズの指揮は全盛期のシュタインを思い起こさせる名演、オケをたっぷりと鳴らしワーグナーの音楽をあます所なく再現していた。歌手ではウィーン・デビューだったクヴァストホフが血まみれの姿でアンフォルタス王の苦悩を表現しデノケがクンドリーをここで初めて歌ったが、二重人格を見事に演じ、歌い分けていたことは特筆してよい。
ボータのパルシファルは、やや一本調子のきらいがしたものの、声は良く通っていたので合格だろう。既にグルネマンツを数多く歌っているホルも表現に今ひとつ深さを望みたいところだが、それはむしろ高望みと言えなくもない。
かつてヴィーラント・ワーグナーは「祖父のオペラは音楽がすべてを語っているので演出は音楽を妨げてはいけない」と言って、象徴的な舞台、演出を試みた。あれからもう40余年、今それを求めるのは時代錯誤なのだろうか? 見終わって、音楽には十分に満足したにもかかわらず、心のどこかに大きな不満を感じた公演だった。
他に「アイーダ」、「イェルサレム」(「ロンバルディ」のフランス語版)、「ファヴォリーテ」を見たが「イェルサレム」のトゥルーズ伯爵に扮した甲斐栄次郎が堂々とした歌を聴かせ一段と大きな拍手を受けていたのを忘れてはならない。今シーズン9つのオペラに出演し、10月には「愛の妙薬」のベルコーレが決定している。今後の活躍を期待してよいバリトン歌手の出現だ。
岩崎 和夫(音楽ジャーナリスト)
2004年5月28日(金)
【札幌からのレポート】札幌交響楽団の話題2つ!
【その1】
札幌交響楽団は5億6千万円の累積赤字を解消するため、札響基金を取り崩す。基金は創立30周年に当たっていた1991年、運営に余裕を持たせるために企業や自治体から募った寄付を積み立てたもので、約8億3千万円あった。借入金をゼロにして経営再建を進める。
【その2】
札幌交響楽団の音楽監督に、常任指揮者だった尾高忠明氏が5月1日付で就任した。任期は1年毎の更新となる。札響の音楽監督は岩城宏之氏(1978年10月〜88年3月)に次いで2人目。
札幌交響楽団
http://www.sso.or.jp/
2004年5月27日(木)
【CD紹介】アンサンブル・プラネタ「愛のロマンス」
◆アンサンブル・プラネタ「愛のロマンス」
◎
曲目:
01. 愛のロマンス(スペイン民謡)/作詞:書上奈朋子
02. カノン/作詞:高橋美千子 作曲:J.パッヘルベル
03. 別れの曲/作詞:村田悦子 作曲:F.ショパン
04. ロンドンデリーの歌(アイルランド民謡)
05. 私のお父さん(歌劇『ジャンニ・スキッキ』より)/作曲:G.プッチーニ
06. アヴェ・マリア/作曲:F.シューベルト
07. モルダウ(交響詩『わが祖国』より)/作詞:戸丸華江、池城淑子 作曲:B.スメタナ
08. トロイメライ/作詞:伊藤美佐子 作曲:R.シューマン
09. 我が母の教え給いし歌/作曲:A.ドヴォルザーク
10. 愛の歓び/作曲:J. P.マルティーニ
11. パラダイス/作詞・作曲:書上奈朋子
◎
編曲:書上奈朋子
◎
Canyon Classics/CD:PCCA-02031 \2,940(税込)
アンサンブル・プラネタのCDも2001年のデビューから数えて5枚目になった。
5人の女声のアカペラのグループとして活動している。最近はTVやCMに登場して幅広く一般の耳目に触れる機会が多くなった。「愛のロマンス」がフジテレビ系「孝太郎ラボ」のエンディングテーマとして使われている。
昨年末の東京オペラシティのリサイタルではその魅力を発揮した。ヴィブラートを抑えた透明感の高い歌声はあのホールの高い空間に伸びてゆくような気持ちにさせられた。プロデューサーで編曲者でもある書上奈朋子とのよきコラボレーションも彼女たちに大きいな影響を与えているのであろう。クラシック・ア・カペラのアーティストとしてこれからの進む道に大きな課題を背負っている。今後の成長を見守りたい。
◆《アンサンブル・プラネタ コンサート情報》
◎
2004年6月30日(水)19時 文京シビック・小ホール(東京)
問:03-5803-1111
◎
2004年7月4日(日) 15時 なら100年会館・中ホール(奈良)
問:0742-34-0100
◎
2004年7月9日(金) 19時 宗像ユリックス・ハーモニーホール(福岡)
問:0940-37-1483
◎
2004年7月10日(土)19時 鹿児島市民文化ホール・第2ホール(鹿児島)
問:099-257-8111
◎
2004年7月23日(金) 19時 茅ヶ崎市民文化会館・小ホール(神奈川)
問:0467-85-1123
◆アンサンブル・プラネタ イベント情報
(「愛のロマンス」発売記念 ミニ・コンサート&サイン会 )
◎
2004年6月12日(土) 14時 HMV新宿SOUTH イベントスペース
問:03-5361-3060
◎
2004年6月20日(日) 17時 横浜ランドマークプラザ1F ガーデンスクエア
問:045-222-5202
アンサンブル・プラネタ
http://www.ensembleplaneta.com/
アンサンブル・プラネタ(ポニー・キャニオン)
http://www.ponycanyon.co.jp/international/c_classic/artist/ensamble/
2004年5月27日(木)
ピアニスト中川和義のCD/DVD情報
ピアニスト中川和義が永年演奏と教育にたずさわっていましたが、その立場から面白い内容、興味のあるCD、DVDをとりあげます。またマイナーレーベルや輸入盤にも興味深いものがあるので紹介します。すべて購入して視聴したものです。
【DVD】クラシック・アルヒーヴ 第16集「アルフレッド・ブレンデル」
(ベートーヴェン:ソナタop.106「ハンマー・クラヴィア」&バガテルOp.126より)
●
曲目:
1. ベートーヴェン:ソナタ第29番変ロ長調Op.106「ハンマー・クラヴィア」
2. ベートーヴェン:6つのバガテルop.126より第2番&第3番
<ボーナス>
3. シューベルト:幻想曲ハ長調D.760「さすらい人」
●
ピアノ独奏:アルフレッド・ブレンデル(1)&(2)、ジュリアス・カッチェン(3)
●
収録:1970年2月28日 パリ(1)&(2)、1967年11月16日 ザール・ガボー・パリ(3)
●
発売:EMI(CLASSICS) DVA 490123 2003年 カラー(1)&(2)、白黒(3)
1970年、ベートーヴェン生誕200年を記念して、フランスのTV局が制作したものである。この頃になると、Tv用カメラを初め機械の進歩を証明するかのように、映像が抜群に優れてくるようだ。収録も丁寧になされており、演奏を含めこのシリーズでは最良の一つであろう。
このビデオを見て、1971年に初来日した時(空席が多かった!)、ベートーヴェン・プログラムで「ハンマー・クラヴィア」、バガテルop.126と「熱情」を演奏し、大変感銘を受けた記憶が蘇って来た。左右の指を絆創膏(バンド・エイト)でガードをし、音楽に集中するためか、演奏する顔の形相は凄く、ブレンデル百面相スタイルは(笑)、未だここでは健在である。最晩年のバガテル(アンコールか)は、演奏の難しい曲であるが、バガテル(つまらない曲)らしからぬ、充実した音楽を聴かせてくれる。
リストの「ソナタ」、ベートーヴェンの「ハンマー・クラヴィア」や「ディアベリ変奏曲」、それにシューベルトの「さすらい人幻想曲」など、オーケストラ的巨大な作品を得意としていた、世界的に名前が売れ始めてきた頃のブレンデルの、貴重な記録であろう。何故なら、指を痛めてからは、「ディアベリ変奏曲」をのぞいて、ブラームスのピアノ協奏曲も含め、これらの曲をレパートリーからはずしてしまったので、もう「生」で聞くことが出来ないからある。
ブレンデル自身によれば、16才から殆どレッスン(音楽大學等でキチントした教育)を受けず、現在では珍しい、音楽もピアノ・テクニックも、全く自己流で完成したアウトサイダー的ピアニストと言えなくはない。そのためか、成熟に時間がかかり、指にも負担が懸かったのだろうか。今のピアニストに比べるて、技巧的に決して洗練されていず、不器用で、可成りぎこちないピアノ演奏である。
ブレンデルの演奏には、時々、「強調癖」や「奇異な表情」が散見出来るが、組織的で優秀な教育を受け、完璧で自然なテクニックを持つ、多くの今日のピアニストにしばしば欠けている、「音楽を語る」演奏(!)の出来る、希なピアニストである。巧く言えないが、演奏の先が(次が)、聴き手に自然に予告(わかる}出来る演奏である。「弾き方」がメインの作品は多数あるが、現在、ピアニストを聴いて、「わかる」ように演奏出来、又、聞こえ来る「体験」を得ることが、少ないのも現実である。
ブレンデルの著作に見られる、作品に対する「知的」洞察力の深さを持つ一方、「実践者」(ピアニスト)に変身したときのブレンデルは、決して「知的」でも、アカデミックではない。このビデオの「成熟」前のブレンデルの演奏で、「強引さ」(フォルテッシモの音が気になる)や「気まぐれ」があるが、今日では貴重な、音楽の正道を歩みながら、頑固で個性的なベートーヴェン演奏家の一人であるのが解る。ベートーヴェン生誕200年記念制作にに、ブレンデルを選んだTVプロデューサーの、「先見の明」に敬意を払いたい。
ボーナスのカッチェン・ガボーでのリサイタルから、シューベルトの「さすらい人幻想曲」は、達者な技巧(カッチェン!)を以っても、この曲を完璧に弾けない程「イヤ」な曲であるが、有り余る技巧を持ちながら、カッチェン死去の18ヶ月前の「音楽に奉仕する」姿を見て、「大器」の余りにも早い死が悔やまれる。
【CD】プレトニョフ・プレイズ・シューマン
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曲目:
1. シューマン:交響的練習曲Op.13(主題、変奏曲第1番ー第7番と第9番、練習曲第3番と第9番&遺作変奏曲第5番と第1番からなるプレトニョフ編集版)
2. シューマン:幻想曲ハ長調Op.17
3. シューマン:色とりどりの小品Op.99より「5つのアルバムの綴り」
4. シューマン:アラベスクハ長調Op.18
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ピアノ独奏:ミハイル・プレトニョフ
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録音:2003年8月19日ー21日 テルデックス・スタジオ・ベルリン
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発売:2004年春 DG 474 813-2 輸入盤(国内盤 2004年6月新譜予定 G UCCG1192)
このところ、ピアノに戻った?プレトニョフは、素晴らしい録音を続けており、ロマン派の大曲のCDが出たので、早速聴いてみた。ゴルノスターエヴァ(上原採子の先生!)よると、学生時代から彼の「言動」に、衝撃性とか天才的な「驚くべき」などの特徴は無かったらしい。しかし、「非現実性」で閉鎖性、交流の難しさは、今でも一貫して続いているようである。このあたり、シューマンに似ていなくもない。
プレトニョフは、シューマンの音楽に最も近親感があるらしく、すっかり「のめり込んでいる」ようである。自分の世界に陶酔し過ぎ(?)、作りものめいた懲りすぎたルバートが多い。そして、以外や古い「ロシア」ヴィルトオージティのピアニストの顔が見えて来る。分かりやすく言えば、音楽は異なるが、あのホロヴィッツのシューマン演奏(特に幻想曲!)との共通する「極端な表現」とでも言えようか。
壺にはまれば、「聞き飽きた」有名曲を、個性的に説得力を以って変身出来る、素晴らしい音楽作りをするプレトニョフ。しかし、ここシューマンでは、テンポの設定の不自然さ、ピアノ(弱音)の禁欲的響き、潤いない痩せた衝撃的フォルテも気になり、時には、「グラフィックアート的オブジェ」(失礼!)化された音楽になる。幻想曲や交響的練習曲は、彼の天性から来る、閃く「ハット」する瞬間は多くあるのだが、細部にこだわり過ぎて、支離滅裂の印象さえ受け、大変冗長に聞こえることもあり、正直、聴いていて疲れる。
いつも自己を制御し、内に秘めた情熱で、どこか「さめた」印象を拭えなかった彼の演奏は、一体何処に行ったのか。交響的練習曲の主題は「ムード音楽」で始まり、テンポやダイナミズムは極端で、デフォルメのようだ。幻想曲(サマになり難い第3楽章は見事だ!!)もしかり。勿論、大変磨き抜かれた演奏ではあるが。ここには、「フロレスタン」と「オイゼビウス」は現れない。ロマン派音楽理解の「難しさ」と「限界」を知らされたようだ。
しかし、次の5つのアルバム・ブレッター、何でもない小品から、想像を超えた繊細且つ大胆な、趣味の高さを披露したプレトニョフの演奏は、本当にに素晴らしい。この演奏だけでも、このCDの購入する価値がある。アラベスクは好演だ。プレトニョフの尋常ならない、驚異的な能力に完全に「脱帽!」する。
プレトニョフでなく、「シューマン!」を聴きたい人には、お薦め致しかねると言うのが本音ではあるが。
【CD】ケンプ・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲
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曲目:
1. ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調Op.73「皇帝」
2. ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調Op.58
●
ピアノ独奏:ヴィルヘルム・ケンプ
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指揮:ペーター・ラーベ(1)&パウル・ヴァン・ケンペン(2)
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演奏:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団(1)&ベルリン国立歌劇場管弦楽団(2)
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録音:1935年(1)&1941年(2) ベルリン
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発売:2004年 HAENSSLER CLASSIC (MASTERPIECE) CD94.045 輸入番
南ドイツ放送局で録音された、面白いCDを出しているヘンスラーが、SP時代の巨匠の名演奏をリマスターし、出来映えが大変好評と聞いている。以前DGで発売された、ケンプ最初のベートーヴェン「皇帝」が、「こもった」音で貧弱(特にピアノの音)だったのが、見違えるような「音」に仕上がってるらしいので、早速聴いてみた。この「皇帝」は、録音の翌年ケンプの初来日があり、当時の演奏を想像できる楽しみもある「すぐれもの」だ。
ドイツのヘルメッケ博士のコレクション、SP盤からコピーされたもので、大変良く出来ている。ケンプは、大戦後海外への活躍が増えて、シュタインウエイ・アーチストとなったが、この録音では、ベヒシュタイン(ベルリン)を使用している筈である。ベヒシュタインは、シュタインウエイ程華やかで倍音が豊かではないが、透明で輪郭のはっきりした音を持つピアノである。
DG盤はピアノが原因と思ったのだが、ヘンスラー盤を聞いて良好なSP原盤であったのか、複製技術進歩したのか、多分両方だと思われるが、見違えるようなクリアーなピアノの音に、ケンプ壮年40歳の演奏を充分に堪能出来た。当時、我が国では、「皇帝」は(ベートーヴェンと言えば)シュナーベル一と相場が決まっていて、整然さと情熱溢れる、本家本元のドイツ的「皇帝」の演奏が、余り陽の目を見なかったことは、何か、音楽以外の裏事情あったのかと、勘ぐりたくなる。
ヘンスラー盤の「皇帝」の音のピッチは、DG盤に比べやや高いようだが、さてどちらが当時のオリジナルなのだろうか。今より低いような気もするが、情報が欲しい。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番は、名指揮者ケンペン(熱烈なナチ党員ラーベとは格が違う)が指揮をし、演奏は音楽の「密度」が遙かに高く、特に第2楽章以降が素晴らしい。ちなみに、ケンプは、23歳の時ベルリンフィル初登場の時に、ベートーヴェンの第4番を、あのニキシュの指揮で演奏しており、彼のベートーヴェン演奏の「出発点」なのだろう。
同じ年の、ケンプのデビュー・リサイタルは、ベートーヴェンのソナタ「ハンマー・クラヴィア」、ブラームスの「パガニーニ変奏曲」とオランダの歌手が出した、バッハに主題による「即興演奏」と言う、高度なプログラムであった。
他にリマスター盤は、バックハウス、エリ・ナイやベーム等のドイツの巨匠の過去の名演が発売されている。NAXOSの複刻盤のような、復刻者のコメントは付いていないけれど、大いに期待できる。
【CD】イギリス・ピアノ協奏曲集「ブリス:ピアノ協奏曲、ピアノ・ソナタ他」
●
曲目:
1. ブリス:ピアノ協奏曲
2. ブリス:ピアノ・ソナタ
3. ブリス:2台のピアノのための協奏曲
●
ピアノ独奏:ピーター・ドノホー&マーティン・ラスコー(3)
●
指揮:デーヴィッド・ロイド=ジョーンズ
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演奏:ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団
●
録音:
2002年9月 スコットランド・グラスゴー・ロイヤル・コンサート・ホール (1)&(3)
2003年1月 イギリス・サフォーク・ポットン・ホール
●
発売:NAXOS 8.557146 2004年3月 輸入盤
1939年ニューヨークで行われた世界博覧会のイギリス週間で、アメリカの人々に捧げるため、イギリス政府より委嘱された作品である。博覧会(イヴェント)のためかシリアスでハイ・グレードな音楽より、「楽しめる」音楽を心懸けたようだ。アメリカ系のイギリス人であるブリスは、ソロモンが演奏する事を念頭に、ナイーブなアメリカ市民のため、聴衆を唸らせるスケールの大きい名人芸と、優しい「ロマン」情緒満ちたのピアノ協奏曲を作り上げた。
作曲に際しソロモンの協力を受けたのは勿論で、名手ソロモン独奏とボールトの指揮ニューヨークフィル(同時にバックスの交響曲とウォルトンのヴァイオリン協奏曲を演奏)でカーネギー・ホールで初演された。その後、ソロモンの独奏で、ロンドンのプロミスに登場し、EMIに録音された。(NAXOSに復刻盤がある)
ブリスは、リスト風超絶技巧(ブゾーニのリスト演奏を聴いて感動)、強音のマッシーブな和音の迫力や華麗な早いパサージュと、エルガー風の甘い旋律、時には現代風な強烈なリズム(ストラヴィンスキー風か)をも取り込んだ書法を、巧みに駆使し、「普通の人」でも(?)、結構楽しめる音楽になっている。チャイコフスキー・コンクールの優勝者ドノホーは、「水を得た魚」のように、超絶技巧とエンターテイメント両面でほぼ「満点」の演奏である。
ソナタは、ソロモン以降のピアノ協奏曲の独奏者であった、オーストラリアのピアニスト・ミュートン=ウッドのために1952年に書かれ、同年BBC放送で初演された。ピアノ協奏曲に比べて、大変シリアスな音楽であり、第3楽章でジャズ風リズムが聴ける「サービス」もあるが、全体として集中して作曲されており、緊張感は高い。ドノホーの演奏は、ここでも最高の仕上がりだ。
2台ピアノのための協奏曲は、1921年、「ピアノ、テナーと弦楽器の為の協奏曲」として書かれた作品を、何度か書きあらため、1950年に最終版となった。12分程度の曲であるが、度重なる推敲の結果から、凝縮したベテランの巧さ溢れる作品である。
「手堅く!」「真面目に!」書かれたソナタ(Novello版)は、楽想が多彩であり、演奏効果がバツグン、しかも、取っつき難くないので、勇気ある若い人に、演奏をお薦めしたい。
2004年5月27日(木)
【CD紹介】ドレスデン・シュターツカペレ・ライヴ/ウェーバー、ブラームス
◆ドレスデン・シュターツカペレ・ライヴ/ウェーバー、ブラームス
◎
曲目:
1.ウェーバー:歌劇《オベロン》序曲
2.ブラームス:交響曲第1番ハ短調Op.68
◎
演奏:ドレスデン・シュターツカペレ
◎
指揮:ベルナルト・ハイティンク
◎
録音:2002年9月29/30日ドレスデン、文化宮殿(ライヴ)
◎
Querstand VKJK0416(輸入盤) オープン価格
ハイティンクが率いるドレスデン・シュターツカペレはつい先ごろ来日ツアーを済ませたばかりであるが、この録音はハイティンクの音楽監督就任記念の定期演奏会のライヴである。《オベロン》序曲の深々とした響きはこのオーケストラの持つまろやかなサウンドにますます磨きがかかったことをうかがわせるが、たっぷりと歌う弦とその中から浮かび上がる木管とが溶けあった美しい響きからはドイツの悠久の文化の香りが匂い立つようでさえある。
そのようなアプローチはブラームスの交響曲第1番にも引き継がれている。ハイティンクは決してオーケストラを強引にあおるようなことはしていない。むしろ逆にその自主性を尊重しながら落ち着いたテンポを維持しつつ、じっくりと熟成した音楽を作り出すことに成功している。その手腕には巨匠らしい風格が漂っていて、少しも才気走ったところのないハイティンクの中庸の美はここでは見事に実を結んでいる。それにしても底光りするようなオーケストラの音の素晴らしさにはただ羨望のまなこを投げかけるほかはない。
野崎正俊(音楽評論家)
2004年5月27日(木)
【CD紹介】モーツァルト/ピアノ協奏曲第20&25番(室内楽版)
◆モーツァルト/ピアノ協奏曲第20&25番(室内楽版)
◎
曲目:
1.ピアノ協奏曲第20番ニ短調KV466
2.ピアノ協奏曲第25番ハ長調KV503
◎
作曲:モーツァルト=フンメル編
◎
演奏:白神典子(ピアノ)、ヘンリク・ヴィーゼ(フルート)、ペーター・クレメンテ (ヴァイオリン)、ティボール・ベニー(チェロ)
◎
録音:2003年9月6,7日ミュンヘン、バイエルン・スタジオ
◎
BIS KKCC2353 2800円
モーツァルトは時に自らピアノ協奏曲を室内楽用に編曲しているが、それはオーケストラ・パートを弦楽四重奏に置き換えたものである。ところがモーツァルトの弟子であるフンメルによる室内楽版はピアノ、フルート、ヴァイオリン、チェロといういっぷう変わった編成で、オーケストラ・パートの一部もピアノが受持つなど、編曲というよりもモーツァルトのピアノ協奏曲を素材にして書きあげた新たな作品といった方がよい。当然ながら作品は時代を反映してロマンティックな色合いを強くしていて、原曲には聴くことが出来ない装飾音がふんだんに取り入れられているのも面白い。
演奏者たちはいずれも堅実なテクニックの持主で、緻密なアンサンブルの上に自由闊達な妙技のやりとりが繰り広げられている。それが作品の性格にふさわしい。白神典子(しらがふみこ)のピアノはリズム感にすぐれている上に、力強いタッチによるダイナミックな演奏が素晴らしい。第20番のスケールの大きなカデンツァも見事に弾ききっている。知的な好奇心を刺激してくれるCDとして広く勧められる一枚である。
野崎正俊(音楽評論家)
2004年5月25日(火)
江藤光紀:東京音楽通信〔16〕2004年5月
上半期のシーズンもたけなわになってきました。海外からトップ・プレーヤーたちが続々上陸中。迎え撃つ国内勢も豪華です。
今回はまず、チョン・ミュンフン体制でいい感じに仕上がってきた東京フィル定期に始まり、ポリーニのオール・ショパン・プログラムへ。ハイティンク指揮ドレスデン・シュターツカペレ、フェドセーエフ指揮モスクワ放送響という個性際立つ二団体を聴いた後、完結をむかえるベルティーニ指揮都響のマーラー・チクルスと、怒涛のラインナップ。音楽メトロポリス・トーキョーは、すごいことになってます。
【アジアのこころ、歌のこころ】
写真:(C)K.Miura
●チョン・ミュンフン指揮東京フィルハーモニー交響楽団
第688回定期演奏会
2001年にはじまる東フィルのチョン・ミュンフン体制も今年で足かけ4年目に入り、脂ものりごろ。両者の蜜月関係を象徴するかのように、チケットもソールド・アウト(5月7日、サントリーホール)。
まずはエレーヌ・グリモーをソリストに迎えて、ラヴェルの『ピアノ協奏曲』から。女性にしては珍しく、芯の太い音を持ったピアニストですね。フォルテでもぎすぎすしたり、毛羽立ったりすることがなく、音に適度な重みと丸みがあって、豊満感がある。諧謔調の第一楽章とか第三楽章では、この音をぴりっとしたアクセントの薬味に応用して、細かなフレージングから輪郭を浮き立たせます。
ところがノスタルジックな感慨にふける第二楽章も、太い音で朗々と歌っちゃうんですよね。「セピア色に香る古いアルバム」が、とたんに「生々しい昨日の出来事」になってしまう。まあ、そこのところは趣味の問題かもしれませんが、えらく官能的なラヴェルだったので、同じ追憶ならラフマニノフなんかの情念系ノスタルジーのほうが合っているかな、とも。
コンチェルトでは黒子役に徹し、室内楽的な対話を重視していた感のあるオーケストラ、いよいよメイン『交響曲第一番〈巨人〉』(マーラー)でその真価を発揮。燃焼度が高いだけでなく演奏に個性があり、いい感じに練れてきました。スコアから何をつかみ出してくるかということについて、チョンは見ているところが普通の指揮者とどこか違うと感じてきましたが、当夜の演奏で、漠然と感じていたものの正体がつかめた気がしました。
例えば『巨人』は先ごろテミルカーノフ&読響でも聴きましたが、このときに全体から受けた印象を一言で表すなら、“力”ということになるでしょう。オーケストラを統率し、強烈なパワーを引き出すことに長けたテミルカーノフは、マーラーのスコアに潜む力への意思に一番強く感応するわけです。
しかし、チョンはまったく別のものを読みとっているみたいなんですよね。テミルカーノフに感じた父権的な秩序の感覚はぐっと後退し、温かく豊かな鼓動が聴こえてくる。第二楽章のトリオはとろけるようにやわらかく、第三楽章にさしはさまれる軍楽隊も、盛り場のカバレット・ソングみたいに響く。第四楽章の始まりなど、ベルディを聴いているようなデジャ・ヴ感に襲われました。個人的な考えですが、彼の眼にまず映るものとは“うた”なんじゃないか。豊かに流れつづけるもの――チョン&東フィルの『巨人』全篇に横溢しているイメージは、ま
さにそんなふうに言い表せるのではないかと思います。
終演後、万雷の拍手。なんだか理屈ぬきに入ってくるマーラーに、アジアに通底する演歌的歌謡性みたいなものがあったりして、と半ば本気で思ってしまいました。
【大らかに紡がれたショパン】
photo: M.Yabuta
●マウリツィオ・ポリーニ、ピアノ・リサイタル
2002年の「ポリーニ・プロジェクトin 東京」以来の来日公演に、ポリーニは二つのプログラムを用意してきました。一つは、先日発売のCDに収録されたベートーヴェンのソナタを含むドイツもの。もう一つはベートーヴェンに劣らず長年重要なレパートリーとして弾きついできたショパン。このうち後者のリサイタルを聴くことができました(5月10日、サントリーホール)。
全体に歌謡的な小品を並べ、要所にシンフォニックな作品を置いて流れを締める。ショパンについてはあまり詳しくない私でも、当夜の選曲や曲順がかなり練られたものであることは理解できます。
『幻想曲 へ短調op.49』『夜想曲第15番 へ短調op.55-1』『夜想曲第16番 変ホ長調op55-2』――ゆったりとした左手の伴奏音形の上に美しいメロディーが紡がれていくのですが、強靭な指先が鍵盤に叩き込むエネルギーによって、曲が巨大化して現われてきます。ポリーニといってまず思い浮かぶのは手に汗握る緊迫感ですが、ここまでは音楽的自然発火というよりも、石化された美しさとでも言うべきものが前面にでていました。次の『子守歌 変ニ長調op.57』で伴奏音形に乗るのは、もはや旋律ですらない、細かく動き回る装飾オブリガートですが、それはギリシャ彫刻にみる、硬質な大理石から彫りだされる繊細な衣服の襞や、可憐な花なのです。一方、前半の最後に置かれた『スケルツォ第三番 嬰ハ短調op.39』は、それまでの大らかさをきりっとまとめる清涼剤となります。
プログラム前半にみられた対比的構成は、後半にも持ち越されます。『前奏曲 嬰ハ短調op.45』『ノクターン第七番 嬰ハ短調 op.27 No.1』『同第八番 変ニ長調 op27 No.2』で、ひそやかな夜想が続けざまに歌われ、冷たい空気の中に張りつめた緊張感からは耳が離せなくなる。そして当夜を纏めた大作『ピアノ・ソナタ第二番 変ロ短調 op.35〈葬送〉』で、シンフォニックな構成力が全開。
ところで『ソナタ第二番』では、葬送行進曲の入った長い第三楽章の後に、線香花火のように短いプレストのフィナーレが続きます。私はこの曲を聴いて、ショパンはなんでプレストを書いたのだろうかと思うことが時々あります。単にそういう曲だと思って聴くこともありますが、演奏によっては、前の三つと比べ終楽章が短すぎると感じることがあるのです。
当夜のポリーニの演奏は、私のかねてからの疑問にとっては教示的でした。構成への意思は第三楽章までで終わっていました。フィナーレは、葬送行進曲の後に墓場を吹き抜ける風のように、ただひたすら最終和音に向かってうねり続けていたのです。
【いぶし銀の響き】
●都民劇場音楽サークル第517回定期演奏会
ベルナルト・ハイティンク指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
本欄3月号の海外特集でお伝えしましたが、日本でも高い評価を受けている伝統のオーケストラ、ドレスデン・シュターツカペレが、急逝したシノーポリの後を受けて首席指揮者となったハイティンクとともに来日。
「世界最古の音」とか「いぶし銀の響き」という形容詞は、ただの美辞麗句ではありません。ドレスデン・シュターツカペレの演奏には事実、歴史の重みを感じさせる渋さがあるからです。曇りの多いドイツのくすんだ大気を思わせる、ほのかに湿気を含んだそのサウンドは、エルベ川ほとりのあの美しい街と切っても切れないつながりを持っています。ドレスデンの中心部にはたくさんの古い建造物が今も人々の生活とともにありますが、古くから残っているのは建物だけではない・・・そんな連想を抱かせるこのオーケストラに、魅了されるファンが後を絶たないというのも、うなずけるところなのです。
満員になった東京文化会館(5月14日)の観客に最初に披露したのは、モーツァルトの『ジュピター・シンフォニー』。ハイティンクはテンポや旋律については独特な考えを持っているようで、一つの楽章の中で速度を揺らしたり、あくの強い歌い方をしたりというその音楽運びは、マーラーやブルックナーならばさほど気にならなくても、モーツァルトだと冒険のように感じられる場合もあります。しかし、全体に遅めの歩みで、じっくりと積み上げていった結果、後ろの楽章にいけばいくほど説得力が増し、最終楽章では音による壮大な建造物を積み上げるに至りました。貫禄の仕上がり。
後半、『英雄の生涯』でも、どっしりと積み上げていくようなアプローチをみせますが、R.シュトラウスだとちょっと物足りないかな。何と言っても、はったりかましたり、大見得切ったりするのが大好きな作曲家だから。第二部“英雄の敵”に出てくる卑小な評論家を表す木管楽器の細かなフレーズなんか、生真面目な顔してテンポどおりに吹いているのには、ちょっと引きます。けれど、第三部“英雄の伴侶”の妻を表す長大なヴァイオリン・ソロは間違いなく聴き物。とんでもなく腕がいいコンマスで、難解なフレーズを楽々と、完璧に弾きこなしていました。
ところで、この日の演奏で一番よかったのは、実はアンコール。『ニュルンベルクのマイスタージンガー』では、音楽の泉が湧き出すかのように、舞台が美しいメロディーで満艦飾に彩られます。モノクロ、ストーリーの面白さで勝負、みたいな演奏でずっときたのに、この曲で突然、総天然色になった。でも心憎い演出に「また行きたいな、ドレスデン」と思ってしまった私は、オケ側の戦略にまんまとはまっているのでしょうか!?
【フランス風ロシア、あるいはロシア風フランス】
●チャイコフスキー記念
ウラディーミル・フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団2004年来日公演
名演・快演をこれだけ短期間に立て続けに聴いていると、そっとやそっとでは驚かないぞという気持ちになってきますが、そんな不遜な考えを粉砕したさらなる名演がこれ(5月17日、サントリーホール)。
コンサートはピアノ曲を編曲した『四季』(チャイコフスキー)から、『まつゆき草』の叙情的なメロディーで始まったのですが、ここのヴァイオリンの音色の柔らかいこと。旋律の入りで羽根布団みたいな感触がさっと耳をなで、メロディーがたわんで切り返すところで、この羽根布団がまた疲れた体を優しくくすぐります。弦に絡んでくる木管楽器も、控え目な美を演出。
フェドセーエフというと東フィルやウイーン響での活躍が浮かんでくるのですが、実はモスクワ放送響の音楽監督は1974年より三十年来の仕事で、在位期間としては飛びぬけて長い。こんな隠し球をもっていたとは。
二曲目は一昨年のチャイコフスキー・コンクールの優勝者、上原彩子をソリストに迎えて、チャイコフスキー『ピアノ協奏曲第一番』。上原は曲の最初の見せ場である前奏主題を華やかな音で弾ききる一方、独白調のソロ部ではロマンティックな表出力をみせます。音楽はおおむねこの二つを極として進んでいくのですが、第三楽章になるとさらにテクニカルな冴えが加わって、オクターヴで動き回る難所など、まるで鍵盤の上で雪崩が起きているようでした。
一方、モスクワ放送響の実力のほどは、次の『牧神の午後への前奏曲』で遺憾なく発揮されます。冒頭のチャイコフスキーで見せたニュアンスの柔らかな弦と、控えめながら精緻な管というアンサンブルの美質が、これほどうまく曲とかみ合うというのも珍しい。フルートの主題がハープのグリッサンドではじけた瞬間、見えてくるのは深い緑の森の奥の、神秘の泉です。けだるい眠り、ニンフたちの悪戯。眼前に映像を見るかのように、次々と浮かんでは消える情景は、19世紀末から20世紀初頭にかけてのロシアの、銀の時代や「芸術世界」の画家たちの民俗性を帯びた絵画の様式群を彷彿とさせます。
『牧神』を聴いて、今回の来日プロの中心にあえてフランス物を置いた彼らの意図が分かったような気がしました。二十世紀前半の一時期、パリではディアギレフらを中心としてロシア物が受けた時期があったように、ロシアの芸術にはフランスとの親和性が高い部分もある。モスクワ放送響は、その最良の部分を担っているのです。明るく歌い上げた『ボレロ』にも、そんな魅力を感じました。
【マーラー・チクルス、大円団】
●ガリー・ベルティーニ指揮東京都交響楽団
横浜みなとみらいマーラー・シリーズ第9回『千人の交響曲』
98年に都響の音楽監督に就任したベルティーニも、来年3月をもってその任を退くことが決まっています。任期は長く残っているのに、音楽監督として演台に立つのは今月が最後、また来シーズン以降も桂冠指揮者として名前を残すとはいえ、日程も未定とは、ちょっと寂しい。
この7年間に、日本のオーケストラ界も大きく様変わりしました。当時、ベルティーニと前後してN響にデュトワが、読響にアルブレヒトが入り、指揮者陣の国際化が一気に進みました。私も聴衆の一人として大きな期待を抱いたものですが、振り返ってみると、いいことばかりでもありませんでした。不況による業界の地盤沈下が懸念される中でのこの退任はひっそりとしていて、だからこそ、物寂しさもつのってしまうのです。「マーラー全曲チクルス2000-2004」で、そんな最後を見届けたくて。八番・九番の二つの公演のうち、湿っぽくならないほう、『第八番〈千人の交響曲〉』を選んでみました(5月20日、横浜みなとみらい)。
もう70半ばになろうかというのに、ベルティーニ、体軽いですね。舞台からあふれだしそうな合唱団とオーケストラを前に、軽快な棒さばき。この軽さがそのままリズム感につながり、小気味よいマーラーが歌われていきます。ほんとに演奏者が多い交響曲だし(初演時は実際、千人を超えた)、対位的な書法が多用されていることもあって、普通に演奏すれば巨大性が前面にでてくるはずです。しかしスコアを完全に掌握し、各声部に的確な指示を与え、自分の手の内で進めていくベルティーニの『千人』はやや小ぶりで、スポーティーな印象。
第一部はあっという間に終わってしまい(実際には20分以上かかっているのですが)、第二部も、テンポをどっしりと構えたところに落ち着かせることなく、基本ポジションを早いところにとって、器楽→ソロ→合唱という場面展開にあわせ、すばやく調整していきます。若干の食い足りなさもありますが、何よりもまず聴きやすい。
第一部の終わりのところで、凄まじい盛り上がりを見せたとき、ベルティーニが都響に就任した際に取り上げた『復活』の一場面が頭をよぎりました。終楽章で、これまで聴かなかったダイナミックスにまで音量を引っ張りあげたのに、はっとされられたのです。そんな老獪さが、また懐かしかったりして。
ブラヴォー飛び交う終演後の会場に、何度も何度も姿を現したベルティーニも、感無量のご様子。さわやかな引き際でした。次は『九番』。これで正真正銘のファイナル。
江藤光紀(音楽評論・現代文化論)
●略歴:江藤光紀
音楽評論・現代文化論など。一橋大学博士課程修了。博士(社会学)。1998-2001年独ミュンヘン大留学。現在、愛国学園大学人間文化学部講師。主著「カンディンスキー/コンポジションとしての絵画」(コスモスライブラリー1998)
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